織田氏の合戦

小豆坂の合戦 今川義元 VS 織田信秀
年代 天文11年(1542)8月10日
場所 愛知県岡崎市
織田信長の父である信秀が尾張の国をほぼ統一し終わったころ、今度は三河へと侵攻する気配を見せた。そして安祥城を攻略。当時、三河の国を支配していた
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安祥城(あんじょうじょう)の合戦 太原崇孚雪斎(今川氏) VS 織田信広
年代 天文18年(1549)
場所 愛知県安城市安城町赤塚
織田家の人質となっていた松平元信(竹千代のちの徳川家康)を救出し、三河の支配を強めようとして、安祥城を攻めた。
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桶狭間の戦い 織田信長VS今川義元
年代 永禄3年(1560年) 5月19日
場所 愛知県豊明市栄町
1560年代の今川義元は日本の中でも3本の指に入るぐらいの実力のある武将だった。桶狭間の戦いまでの話ではあるが・・・
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桶狭間の合戦に関しては当サイトでも、開戦直前布陣予想図も掲載し検証しております。

森辺の合戦 織田信長 VS 斎藤竜興
年代 永禄4年(1561)5月14日
場所 岐阜県安八郡安八町森辺
桶狭間の大勝利の直後、信長は美濃を制服するために何度か出兵するものの、道三を討ち取り当主なった斎藤義竜は信長を返り討ちにして、手詰まりの状態であった。
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箕作城の合戦 織田信長 VS 六角承禎
年代 永禄11年(1568)9月12日
場所 滋賀県神崎郡五個荘町
尾張、美濃、伊勢の三ヶ国を手中にした織田信長は足利義昭を奉じて上洛しようとした。9月初旬のこと。 この1ヶ月前、スムーズに上洛するために六角氏に協力を求めるが、
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姉川の合戦  織田信長、徳川家康 VS 浅井長政、朝倉景健
年代 元亀元年(1570)6月28日
場所 滋賀県東浅井郡浅井村野村
2月に朝倉氏を討つべく信長は兵を進め、朝倉の支城を攻略していき、順調にいけば朝倉氏を滅ぼすことが出来たのだが、ご存知の通り浅井氏の裏切りにより失敗に終る。
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一乗谷の合戦 織田信長 VS 朝倉義景
年代 天正元年(1573)8月13日
場所 福井市城戸ノ内町
甲斐の虎、武田信玄がこの年に没し、東からの脅威がなくなって、浅井、朝倉攻めを本格化していく。 まず裏切った浅井長政の篭る、小谷城を包囲。 援軍として朝倉義景が2万の兵を引き連れて、
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小谷城の合戦 織田信長 VS 浅井長政
年代 天正元年(1573)8月29日
場所 滋賀県東浅井郡湖北町伊部
1570年の姉川の合戦に勝利した織田信長は着々と浅井・朝倉両氏の攻略をすすめていた。合戦勝利後すぐに小谷城南にある、横山城に羽柴秀吉を城代において牽制し、浅井の切り崩しにかかった。
※『戦国時代の合戦事情』より。小谷城縄張も掲載し検証
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長篠の合戦 織田信長・徳川家康 VS 武田勝頼
年代 天正3年(1575)4月〜5月21日
場所 愛知県南設楽郡鳳来町、新城市
歴史が苦手な人でも知っている合戦。また最近では定説になっていた、織田信長・徳川家康連合軍の鉄砲3000丁そして3段撃ちであるが、実際には1000丁から1500丁ぐらいで、3段撃ちもどうやら違うといわれ始めている。
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長篠の合戦に関しては当サイトでも、開戦直前布陣予想図も掲載し検証しております。

雑賀川の合戦 織田信長 VS 鈴木孫市他
年代 天正5年(1577)2月16日〜3月15日
場所 和歌山市小雑賀
当時畿内をほぼ平定していた信長であったが、石山本願寺と和歌山を本拠地とする雑賀衆の制圧に手をやいていた。 しかし信長との長年に渡る戦いに疲れ果てたのか、雑賀衆の中から裏切りが出た。
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手取川の合戦 上杉謙信 VS 柴田勝家(織田信長)
年代 天正5年(1577)9月23日
場所 石川県白山市湊町
本当にあったかどうか、はっきりしない合戦であるらしい。 というのもこの合戦の上質な史料が存在しないからだ。 この合戦は、上杉謙信の七尾城への攻撃に対して、城主の長綱連が織田信長に救援を求めたことがきっかけであった。
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信貴山城の合戦 織田信長 VS 松永久秀
年代 天正5年(1577)10月3日〜10日
場所 奈良県生駒郡平群町
上杉謙信の上洛軍に呼応するように、松永久秀は織田信長に反旗を翻した。 これは織田軍の主力部隊が、北陸より攻め込んで来た上杉謙信の侵攻を阻止するために越前に出向いてしまい畿内が手薄になったから
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三木城の合戦 羽柴秀吉(織田信長) VS 別所長治
年代 天正6年(1578)3月29日〜天正8年1月17日
場所 兵庫県三木市上ノ丸
信長より中国地方の攻略を任された羽柴秀吉は1577年に上月城を落城させるものの、三木城の別所長治が毛利方に寝返ってしまい、秀吉は鎮圧のため軍を編成し3月29日に三木城を包囲した。
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伊賀の乱 織田信長 VS 伊賀の国人、土豪
年代 天正9年(1581)9月
場所 三重県上野市名張市
伊賀の国は国主のいない国であった。もし他国が攻め入ることがあった場合は、国人や土豪が一致団結して戦い、敵を退けてきた。 地形も四方が山に囲まれて、要所となる場所には砦を設けられており、攻め入るにはやっかいな場所でもあった。
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田野の合戦 武田勝頼 VS 滝川一益(織田信長)
年代 天正10年(1582)3月11日
場所 山梨県東山梨郡大和村田野
長篠の合戦以降、織田、徳川軍に押されっぱなしの勝頼であったが、背後の上杉、北条と同盟を結んでいたから、なんとか持ち堪えていた。 ところが上杉謙信が病死し、勝頼が景勝に加勢したことから、北条と敵対関係になり、徐々に西からの織田・徳川の侵攻を抑えることが難しくなって、1581年には堅城の高天神城が落城してしまう。
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本能寺の変 明智光秀 VS 織田信長
年代 天正10年(1582)6月2日
場所 京都市中京区元本能寺
織田信長が殺されたことで有名な本能寺の変。 特に合戦らしい合戦にもならなかった。 兵力差は13000の明智軍と100人程度の織田軍。 一応当時の本能寺はお寺というよりはちょっとした城郭に近かったようです。しかしながら、不意の攻撃、兵力差が歴然としていて、一方的な戦いとなった。
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魚津城の合戦 上杉景勝 VS 柴田勝家(織田信長)
年代 天正10年(1582)6月3日
場所 富山県魚津市本町
快進撃を続ける織田信長は1582年に武田氏を滅ぼすと同時に上杉は越中の富山城を攻略した。1582年3月11日のこと。 これに対し越前の柴田勝家、加賀の佐久間盛政、能登の前田利家、総勢約1万が上杉方の魚津城を包囲。
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備中高松城の合戦 羽柴秀吉(織田信長) VS 清水宗治
年代 天正10年(1582)5月8日〜6月4日
場所 岡山市高松
天正10年の3月15日に羽柴秀吉は2万程度の軍勢を率いて、備中高松城の攻略へと向かった。 この知らせに毛利も小早川隆景を派遣し、秀吉の軍と対峙した。 秀吉はさきに小早川軍を追い返そうと挑発をするが、陣に篭って決戦をさけた。
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参考書籍

百姓から見た戦国大名 ちくま新書
この本を読むと、戦国当時の百姓達のイメージが変わるかも知れません。百姓達は決して殿様に頭を下げてばかりいて、弱弱しく生きていたのではないことが分かり、また当時の合戦の多くが領民を飢餓から救うために行われたと読み取ることが出来ます。当時、多くの一般庶民は餓えていたんですねぇ・・・。かなり参考になります。

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関連サイト

戦国時代の合戦データベース
姉妹サイト。だいぶネタつきましたが(笑)、日本各地の戦国合戦について簡単に紹介しています。
氏別合戦表
武田氏
桑原城の合戦より〜田野の合戦
織田氏
小豆坂の合戦より〜




みんなで作る戦国マップ

戦国合戦マップ
yahoo! my map 利用

動画でお城、古戦場

当サイトで撮影したお城、古戦場を動画で紹介。Youtube版。

裏の戦国
戦国時代の性事情
戦国時代は性におおらかだった?当時の性の実態に迫るホームページ。