なぜ戦をしたのか?
今の日本は飽食の時代と言われて久しいが、現在と違い戦国時代はとても貧しい時代でした。天災による被害で飢饉もあちらこちらで見られた。当然、合戦(乱取り)による飢餓と餓死、それによる疫病も蔓延していた。
そのため領主が領主でいるためには、自国領内の庶民をある程度満足(満腹といってもいいかも)させる必要があったのである。それが出来ないと一揆がおきたり、または隣国の比較的条件のいい領主に鞍替えをされてしまうからである。
それを防ぐ手立ての一つが”戦”だったのである。戦に勝てる強い領主は庶民の信頼得ることができたのだ。
戦に勝ち続ければ、その領国内は潤っていく。
あの武田信玄が存命中、当主になってからほとんどの合戦に勝っているが、武田の領国内は活気に満ち溢れ、イケイケドンドンの状態で領民達は裕福になったと『甲陽軍艦』にも記載されている。
逆に戦に負けるとその領主は信頼を失うことになる。それが大戦だと負けた領主の信頼はがた落ちし、有名な『長篠の戦い』でも負けた武田は求心力も失って、滅亡となってしまった。 ちなみにその敗戦以降、武田は信頼回復とばかりに戦をしかけはするが、領土内の農民達も若者を戦場に送るのではなく、50歳を超えたお年寄りしか戦場に送らなかったようだ。
もちろん大戦に負けるとそれだけでなく、特に戦地となった敵国と隣接する地域を治める国衆は寝返る可能性が高くなってしまう。
故に決戦までいたる合戦はどちらかが確実に優勢でないと仕掛けることはなく、有名な川中島の戦いも5回の対陣のうち、決戦に至ったのは一回のみであった。
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