休戦、和平のための城割・破城

 戦国時代は合戦が日常的に行われていたこともあって、本拠地にある本城のみならず、国境や要地には砦、小規模な城がいっぱいあった。
ちなみに戦国以前は、合戦が終われば城、砦は取り壊されていた。

 戦国時代の真っ只中、信玄、謙信、信長が大活躍していた頃、合戦になったりまた膠着状態になったとき、和平、休戦の条件として破城が行われることがあった。
破城とは、お城の戦闘機能を無くすことで、堀を埋めたり、柵を壊したりしてしまうこと。 ただし、この当時は破城したお城をすぐに建て直したりなんてことも、多かったようで・・。この当時のお城、砦、特に国境付近にあるようなお城は簡素な建物が多く、壊すのも建て直すのも比較的簡単だったとは思いますが。

 戦国時代が収束に向かい、秀吉、家康の時代となると領国、群単位で大規模な破城が行われるようになった。秀吉、家康は自分の傘下の大名達に破城命令を出した。これを城割令という。有名なものに家康の『元和一国一城令』がある。

角石垣
※写真は角石垣(戦闘向)。戦国が収束に向かうにつれ、こうした石垣は少なくなっていった。

だから現在多くのお城はちゃんとした姿で残っていない

 家康が『元和一国一城令』を出したことによって、政庁機能の役目を果たすお城以外は破城されたはずであったが、そこは今も昔もお役所仕事。結構適当なものであったのであろう。
で、1637年に大事件が起こる。有名な天草四郎の島原の乱である。
 このとき一揆軍は破城されたはずの原城に立て篭もり、幕府を相手に反乱を起こした。
当時の原城は建物は無くなっていたものの、石垣はそのままに放置されていて、一揆軍はそれを利用して、防護柵を巡らせて幕府軍は鎮圧にてこずってしまった。

 この一揆が元で、もう一度幕府は破城した全国のお城を見直すために『諸国巡見使』を派遣し調査を開始。壊し足りないお城を徹底的に破壊することになった。
このために現在、特に山城などはほとんど残されていないのである。


参考書籍

百姓から見た戦国大名 ちくま新書
この本を読むと、戦国当時の百姓達のイメージが変わるかも知れません。百姓達は決して殿様に頭を下げてばかりいて、弱弱しく生きていたのではないことが分かり、また当時の合戦の多くが領民を飢餓から救うために行われたと読み取ることが出来ます。当時、多くの一般庶民は餓えていたんですねぇ・・・。かなり参考になります。

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関連サイト

戦国時代の合戦データベース
姉妹サイト。だいぶネタつきましたが(笑)、日本各地の戦国合戦について簡単に紹介しています。
氏別合戦表
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桑原城の合戦より〜田野の合戦
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