大江戸風俗
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江戸時代の風俗産業、吉原の女郎の紹介等

大江戸風俗

■セックス産業花盛り



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戦の世が終わって〜兵どもが夢のあと
江戸時代は、戦国時代と変わって、風俗産業が花開いた時代といっても過言ではないと思う。ちなみに戦国時代にも風俗産業はあったが、都や賑わっている城下が主であったし、また戦で敵地にて、”人さらい”や暴行は当たり前のように行われ、上杉謙信や織田信長、武田信玄にいたるまで、足軽、雑兵にそういった行為を認めていたのである。

戦国期後半になると、禁制をしいてそういった行為を自粛させるようにしてはいたが、関ヶ原の戦いでもそういった行為が行われていたらしく、屏風絵にも”略奪”を思わせる部分が描かれている。 つまり強い大名の戦に従っていけば、食い物だけでなく、性の処理もできたのである。
ところが豊臣家が崩壊し、江戸時代が完全に始まってから(1615年以降といっていい)、大規模な戦はなくなり、現在の風俗店に相当するものが多く現れ始め、幕府も公認していくようになっていき、吉原のような大規模風俗街も登場した。

高級クラブから援助○際まで
まず江戸時代の風俗で思い出すのが、今でも風俗街である”吉原”だと思う。幕府公認の風俗街で、現在に例えていうと高級クラブやちょんの間みたいな風俗店が軒を連ねていた。また規模も現在より大きかった。
吉原以外の地域でも当然、風俗店はあり、今の大都市圏や各街道の宿場町などでも客引きのために女性を雇い売春が行われ、幕府の制限はあるものの公認されていたものもあった。
公認されていないもぐりな風俗もあり、援助○際にあたるものも各地で見られた。都市部のみならず、農村でも援助○際的なものがあり、”綿摘”と呼ばれる売春婦がいた。他にも提重や行商とは名ばかりの風俗嬢が意外と多かった。(提重綿摘に関しては庶民のための風俗であらためて説明します)
TVの時代劇でよく女性が蕎麦屋でウエートレスや宿場の呼び込みをやっているが、確かに当時は客寄せに女性をよく使ったようで、彼女達の全員ではないにしろ、春を売ったものがいたのである。

多くの風俗嬢がいた裏側に
江戸時代の風俗関係の書籍を見ていると、なんだか女性みんなが風俗嬢になったのかなと勘違いをしてしまうぐらいですが、自分が思うに、江戸時代はまだまだ男性上位の社会であったことがあると思う。つまり、男性にしかというとオーバーであるが、現在と比較にならないぐらいに、女性に働く場がなかったことの裏返しのような気がする。 にもかかわらず、当時は女性の人口が男性よりも多かったようで・・。
テレビの時代劇などをみても、お奉行さんや岡っ引きは男ばかりだし、他の仕事でもそうだ。女性が出てくるとするれば、食事屋さんぐらいなもの。文明がまだまだ発展していなかった時代で力仕事が多かったろうから、仕方の無い一面はあるのかも知れないが・・・。
そういう社会であったから、一家の大黒柱が病気やなかなか職にありつけないと、女性が春を売るしかないという悲しい一面もあったように思う。 そんな事情や今のような法律が完全に整備されている時期ではないから、泣く泣く娘を売ったり、また、女衒がだまして女性を売り飛ばすなんてのも事実であった。
少なくとも、現代のようにブランド物を買う為、良いマンションに住みたいといった贅沢な欲求は少なかったように思う。
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