戦国時代の性事情
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室町、安土、桃山時代の性習慣、風俗などの紹介

戦国時代の性事情

■室町時代の風俗



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戦国時代のホテトル、ちょんの間
 チョメチョメな新種風俗は今でも関西からみたいなことが言われているが、それは戦国時代、いやもっと昔からそうだったのかも知れない。当時女を買うには都まで行くことが多かったそうで、都といえば当時は京都。そんなところにひょっとするとルーツがあるのかもしれない。
 当時の風俗がどのようなものが存在したかというと、おおよそ、デリバリーヘルス本番バージョンとちょんの間みたいなもの。
それではどんな風俗があったのか??

朝妻船(あさづまぶね)
小船の中でチョメチョメなことをする遊女のことで、朝妻とは琵琶湖近くの坂田郡朝妻湊のこと。当時は朝妻湊以外の湊でも小船の中で『チョメチョメ』なことをしていたようだ。主に湊で船を待っている殿方を相手したようだ。 ちなみに朝妻湊は江戸時代に入り、米原へ湊が移って、それに伴って朝妻湊の遊女も廃れていったようである。
たち君
今で言う”たちんぼ”のハシリのようなもの。たまに歓楽街にいくと「お兄さん、若い子いるよ」みたいに声をかけられることがあるがまさにアレです。これで金額とお客さんの好みがあえば、”出来る”所へ行くことになる。
つじ君
路地で商売をしていた。一応お店としてあばら家みたいなほっ立て小屋で”いたして”いたようだ。ちょんの間の祖先って感じ?
白拍子
巫女さんのようなイデタチ、当時はタレントさんのような存在であったらしいが、それだけでは生計がなりたたなかったのだろう。彼女たちも体を売った。現在でも売れ悩むタレント、女子プロレスラーさんが過激なヘアヌー○を出して、金を稼いでいるが、今も昔も差ほど変わらない。出雲のお国はどうだったのだろう??
比丘尼
尼さんも体を売った。仏に仕える身でも餓えには耐えることができなかったのだろう。当時のお寺さんは風俗店に近いものが多かった。また従軍慰安婦の役割もはたしたらしい。戦場にも出張をした。今で言うホテヘルとデリヘルを足したような風俗。合戦が長期戦になったら大忙しだったに違いない。
御陣女郎
読んでなんとなく想像が付くかも知れないが、戦場で男性のお相手をした売春婦集団。元々は生首に化粧をするのが仕事だったようだ。商売敵の比丘尼と鉢合わせしたときはどんな感じだったのだろう。まぁ、戦場では男は万単位でいる。売春婦どうしでイザコザはなかったかもしれませんねぇ。
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