戦国時代の合戦事情
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PC版『戦国時代の合戦事情

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陣形〜劣勢でも鶴翼の陣?なぜ?

 関ヶ原の戦いでは、徳川勢は魚鱗の陣、石田勢は鶴翼の陣、三方ヶ原では武田軍は魚鱗の陣、徳川勢は鶴翼の陣、そして川中島の戦い武田勢の本体は鶴翼の陣、上杉軍は車掛の陣と野戦では陣形を作ることがある。 姉川の戦いはお互いに長蛇の陣といって良いかも知れない。※姉川到着後は両軍とも川に沿って展開したものと思われる。
色んな陣形があるが、大まかに密集した陣形(魚鱗、車掛の陣)と広がった陣形(鶴翼の陣)に分かれる。
ただし、軍勢の展開が困難な地形の場合は、一直線の伸びた陣形をとったりもする。(長蛇の陣)

攻め手は魚鱗、受け手は鶴翼だった
よく鶴翼の陣は包み込んで攻撃するように書かれているが、それはすべてが間違いとは言わないが、鶴翼の陣は川中島の戦いから関ヶ原の戦いを見て考えるに、攻撃を受け止めて、攻め手が攻撃に疲れたときにタイミングを見計らって総攻撃をしかける陣形だったと考えるべきではなかろうか?
また、三方ヶ原の戦いで少数にもかかわらず徳川勢は鶴翼の陣をはって、老獪な戦上手の信玄に魚鱗の陣でコテンパンに負けて、徳川勢が鶴翼の陣を敷いたことが、負けた一因に書かれていたりもする。
だが三方ヶ原の徳川勢、川中島の本体武田勢が劣勢にもかかわらず、鶴翼の陣を敷いたのにはちゃんと訳があったように思う。
まず、陣を鶴翼のように広げるのは本陣に回りこまれないようにする目的があったと思う。後方を敵に取られれば、まず勝ち目はないし、下手をすれば玉砕し総大将の首を取られる。
一方攻撃する側は、広がった陣形の端の部隊を集中して攻撃を仕掛ける。 真ん中への攻撃は左右からも攻撃されてしまうから、効率は当然よくないからだろう。史実の有名な合戦(野戦)のほとんどが、受け手が鶴翼の場合、端(突出部分)を集中的に攻撃をしている。
三方ヶ原の合戦を見ると、武田第一陣の小山田隊と徳川最右翼酒井隊によって、火蓋が切られた。 しかし、武田の挑発に乗って受け手のはずの徳川勢が攻撃を先に仕掛けてしまったことは間違いであったと思う。まぁそうでなくても武田の勝ちは揺るがなかったであろうが、受けにちゃんと徹することが出来たなら、もう少しマシな負け方であったかも知れない。(家康はウンコまで漏らしていたとか・・)

そして関ヶ原の戦いで左翼の石田隊に攻撃が集中したのは、三成憎しもあったろうが、合戦の定石にも則っているともいえるのではなかろうか?

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